【移住者インタビュー⑩ 友人に誘われて住み始めた燕市☺】

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「小さな花屋Tette」のオーナー、大阪府出身の山本いすずさん



―燕市に来たきっかけを教えてください。


 大学卒業後、1年間バックパッカーで世界を旅していたときに、おもしろい2人に出会いました。帰国後も2人とは何度か会っていて、ちょうど大阪で2年間働いていた花屋を辞めるタイミングで、「燕三条で一緒に仕事をしないか」と声をかけてもらったのがきっかけで、燕市に来ました。



―燕市での生活はどうですか。


 2019年4月に燕市に移住してから、大阪での生活と違ってのんびり暮らしています。近所の人たちがお店に顔を出してくれるのも嬉しいです。燕のごはんだと「食事処日の出」のねぎとろ丼が大好きです!県外から友達が遊びに来た日はよく日の出に食べに行っています。

 お店に来てくれた人にこの地域を楽しんでもらいたいので、まずは自分が燕ライフを楽しもうと思います!日々を楽しみながら、いろんなことに挑戦していきたいです。



―お花屋さんについて。

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 「小さな花屋Tette」というドライフラワー屋さんを始めました。「手と手」という意味も込めて、響きが良い「Tette」と付けました。お花の注文はホームページやInstagram@flower_tette)の他、電話や直接来ていただいてその場でお受けすることもできます。花束などは少しお待ちいただければその場でお作りしますよ。

 ワークショップも随時開催しています。お店に来てもらえれば花束やスワッグ、ピアスなどが作れるので気軽に遊びに来てください!小さなお子さんから年配の方まで幅広い年齢層の方が来てくれると嬉しいです♪お待ちしています~

【移住者インタビュー⑨】ものづくり天国の燕市で働くための移住

燕市を選んだ理由は魅力的な会社があったから、という横山さん。

2019年9月に埼玉県から引っ越してきました。


―どんな仕事をしていますか。

 今は金属の塗装をする仕事をしています。埼玉県ではエレキギター・エレキベースといった楽器や家電の新製品のデザイン模型など、木材や樹脂という素材を塗装していました。塗装の仕事に就いたきっかけは、もともと楽器を弾くのが好きで楽器に関わる仕事をしたいと思っていたときに、楽器作りの塗装という世界に強く惹かれたからです。金属の塗装もいつかしてみたいと思っていたので、燕市で念願の仕事に就けました。

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―燕市での生活を教えてください。

 燕市の生活は満員電車ではなく車になり、山の景色を見ながら好きな音楽を聞いて出勤も楽しんでいます。海も山も近い生活がとても気に入っています。自然のバランスが良く、今の生活に不便なことはありません。最初は田んぼの真ん中に市役所があることに驚きました。埼玉県と比べると坂道が少ないのも運転初心者からすると嬉しいです。

 休日はよく寺泊へ行って魚を買っています。燕市に来てから購入した包丁のおかげで魚を調理する趣味もできました。運動するときは分水の体育館でトレーニングをしています。無料でランニングマシーンも使えるんですよ。

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―他には燕市とどんな関わりがありますか。

 燕市の移住支援事業で、UIターンをした人への家賃補助制度を活用させてもらっています。毎月1万5千円の補助が最長24か月受けられるのは嬉しいですね。それと12月には移住者向けの雪道運転講習会にも参加しました。自動車販売などを行う事業所の方から、タイヤ交換のやり方や雪道運転の注意点、いざというときに役立つ備品などを教えていただき、その場で気になることも質問できたので不安がかなりなくなりました。

 仕事をするために燕市に来たので仕事を頑張りつつ、できる限り地域の祭りやイベントに参加して燕ライフを楽しみたいと思います。

【移住者インタビュー⑧】「もっと早く、もっと鋭く」を追及し続ける包丁職人

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1995年岩手県盛岡市生まれ。岩手県内の大学を卒業後、藤次郎へ就職。


藤次郎に就職した理由

もともと趣味で包丁を作っていたことが今に繋がっていると思います。始まりは高校1年の頃、木工などで自分が使う用のナイフが欲しいと思い、買うよりも自分で作る方が安いだろうという理由から手作りでの制作を始めました。さらにその頃、近所の物産展で出会った包丁研ぎの職人の方と話が弾み、仲良くなりました。大学では管理栄養士の勉強をしていたのですが、数字を追い続けることよりも包丁を作っている方が自分に合っていると思い、これを仕事にできないかと考えた末に辿り着いたのが今いる会社でした。


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ー今の仕事

今まで全て自分の手で作っていたものが機械を使ってできるようになりました。簡単により綺麗に出来上がるので、やっていてとても面白いです。ただ、今までは自己満足で終わらせていた部分が、仕事として売るものにしなければいけないので、そこは難しいところですね。包丁づくりは「もっと早く、もっと鋭く」と考えていくと終わりがないので、自分にはこの仕事が向いていると思っています。

先輩は「これはこれ」と押しつけるのではなく、自分が提案したことを一緒に調べてくれてその提案が良ければ認めてくれるので、それが働くことのモチベーションになっていますね。


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ー燕市での生活

今は車を持っていないので、バスや電車の本数が少ないのは不便ですね。新潟の冬は暖かいです。盛岡はマイナス10度以下になることもあるので、5度もあるのに「寒い」と言っている人がいて不思議に思いました。「道路が茶色い」ことも驚きました。盛岡は寒くて水が凍ってしまうからか消雪パイプはないんです。燕市に来て初めて見ました。

食べ物で言うと、燕市に来て焼き肉屋さんで冷麺を注文したら、本場の「盛岡冷麺」との違いに驚きました。スープの味も麺の堅さも全く違います。盛岡の人は焼き肉を食べに行くと必ずと言っていいほど冷麺を食べますが、こっちはそうでもないんですね。


ー10年後の目標

一通りの行程ができるようになるまでには10年かかると言われています。10年後、自分が作りたいと思ったものを、思い通りの形、思い通りの品質に作れるようになりたいと思っています。